赤坂ラーメンの企画を考えるにはまず、「ラーメン」を知る必要あり!ここではラーメンの歴史と、現在のラーメン勢力についてご紹介します!
+考えてくれTOP
+企画概要
+参考資料
+経過報告
+結果発表
+生産状況

 日本の国民食ラーメンのルーツは?!
 
今や日本人の国民食ともなったラーメン。そのルーツはなんと、140年前に遡る!

1859年、安政6年。横浜港が開港、貿易商人の通訳だった広東系中国人によって中華街が誕生!
この地でラーメンは生まれた。
やがて時代は昭和へと移り変わり、明治時代には「うどん」と呼ばれていたラーメンも、ようやく庶民の食として定着!
そのころのラーメンは塩味のきわめてシンプルなもの。
現在約570円の価格も当時は一杯たったの15銭だった!
 
 しょうゆから発展!スープの変遷を辿る!
 
日本に初めて定着した塩味のスープに続いたのが、浅草で生まれた醤油ラーメン。
日本人の味覚の原点と融合したこのラーメンは、日本中のラーメンの『祖』となり、独裁時代を築きあげた。
だが、それは永遠ではなかった。
札幌で豚汁に麺を入れたことからはじまった味噌ラーメンが出現したのである。
誰もが食べた母の味、家庭の味噌汁を思わせるその味は、厚く支持されることとなった。

そして時代は流れて昭和末期。バブル経済の到来とともに日本はグルメブーム!
旨いもののためなら金にも手間にも糸目をつけない!
人々が旨いものを貪欲に求めた結果、見つけ出したのが博多を中心とした九州とんこつラーメンであった!
そんな中、東京でとんこつラーメンの屋台を出した一人の男がいた――。

 
 とんこつ時代に新星誕生!!
 
そう、彼の名は佐藤強。のちの「赤坂ラーメン」の社長である。
今でこそ都内に5店舗の支店を構える赤坂ラーメンだが、佐藤強が国会議事堂前のスタンド脇にラーメン屋台を出した昭和57年当時、彼は貧困の極みであった。
睡眠時間は平均3時間! 屋台を出した借金の返済もあって生活は苦しく、客の残したチャーシューを洗って食べる日々が続いた。
だが、どんぶりを目の前で何度ひっくり返されようと、
「うまいラーメンさえ作ればお客は来る!」
佐藤強の信念は揺るがなかった。
そしてその言葉のとおり、「赤坂ラーメン」はラーメン通を唸らせる店となったのである!
 
 次世紀に名を残すラーメンとは!!
 
その一方で、ラーメン戦争を生き抜いてきた東京ラーメンや味噌ラーメンにも活気が戻り、『ご当地ラーメン』と呼ばれ、各地方を代表する味が続々と登場してきた。

とんこつに海産物や魚系のだしを加えた旭川。
味噌の本場札幌。
平打ちのちぢれ麺、喜多方。
濃厚なしょうゆ味の横浜。
鶏がらベースのこってり派、京都。
骨の髄までとけだしたこってり派のニューフェイス、和歌山。
白濁スープの博多、熊本。
そして野菜中心の具材であっさりしており、九州ラーメンの中では異彩を放つ鹿児島。
そんな中、独自の味を着実に進歩させ続けて来た赤坂ラーメン。しかし新たなブームの到来にうかうかしてはいられない!

 
 旨いラーメンを求めて三千里!
 
「もっともっとおいしくしたい。新しいメニューを考えることが楽しくてしかたない」と言う佐藤社長。
うまさを追求するために、海外に出かけていく事もある。
先だっても、ヒツジの骨からスープをとることを思い立ち、モンゴルに向かった。
さっそく現地で食されている温かい麺を食してみたがうまくない。
そこで佐藤強は考えた!
ヒツジの骨をベースに日本から持って来た梅昆布茶で味を調え、スープを完成。
具は野ウサギの肉。そして山椒オイル(モンゴルの人々は山椒を非常に好む)でフライにしたジャガイモ。
両国の文化の融合とも言えるラーメンが完成した!!
モンゴルで味の新境地を開いた佐藤社長。
だが、彼は考えた。
『もっと旨いラーメンがあるのでは――!?』
 
 あなたのアイディアが究極に旨いラーメンを創る!?
 
佐藤強は未だに自分の味に満足していない。
もっと旨いラーメンを!
自分が思いもつかなかったようなラーメンを食べてみたい!
発見を求めて、佐藤氏が「たのむ!考えてくれ!」でアイディアを募集!
斬新なアイディアをお寄せください!

「ゴールはない」とうまさを追求し続ける佐藤社長。
あなたのアイディアが彼の思考に新風を巻き起こすかも知れない!



Copyright (C) 1999 tanomi.com produced byengine inc.