■第一部 焼け野原
 1945年夏、日本は焼け野原となり全てを失った。しかし日本人は心まで失ったわけでは無かった。奇跡的な速さで復興を果たすのである・・・。

 そもそもドカジャンのルーツとなるウエアーは、ブームだった1970年代の30年前、終戦直後までさかのぼる事となる。戦争で全てを使い果たし、物資が極端に不足していた日本にとって、朝鮮戦争、ベトナム戦争で日本に駐留していたアメリカ軍から大量に放出される安くて丈夫な中古品は貴重な物資となった。

 帝国陸軍や逓信省の入札業者だった「辻喜八郎商店」は米軍放出品入札業者となり、米軍中古放出品の破れなどの破損を修理して安価で販売していた。特に「B-10」「B-15」などの襟ボア付ナイロンフライトジャケットは保温性・機能性共にそれまでの日本製被服よりもあらゆる面で優れており、価格の安さもあって戦後日本復興の中心、建築土木作業員に大人気となり瞬く間に全国の建築現場へと広がっていった。彼ら労働者の“不屈の魂”により、世界でも例を見ない戦後の立ち上がりが可能になったのである。
■第二部 さらば青春の光
 朝鮮戦争が終わった1960年代、日本の復興は留まるところを知らず、そのパワーはそのまま安保闘争へと引き継がれる。工業製品の質も世界のトップレベルにまで達しようとしていた。米軍放出品のリペアが中心だった“作業用ジャンパー”も、より腰周りの保温性を高めたロングタイプの自社製造品へと変化していった。通称「ドカジャン」の誕生である。

 しかし急速に発展しすぎた日本は社会的なゆがみを生み出してしまう。「良い学校に入り、良い会社に就職する」事が「良い子」の定義となり、子供達に過大な期待を押し付ける。型にはまらず、自分らしい生き方を模索する少年達は行き場の無いパワーを“モーターサイクル”に向けた。圧倒的なパワーと爆音。スピード、仲間。かつて日本を復興させた「肉体労働従事者の魂」パワーは、行き場を求めて「暴走族」と言う社会現象を生み出す。「暴走族」の少年達の間で「ドカジャン」は内面から沸き起こるパワーの象徴となった。中でもキャブ株式会社へ社名変更した元祖「辻喜八郎商店」のドカジャンは、キャブ・カストロとも呼ばれ不良少年達の憧れのスタイルとなる。
■第三部 魂を受け継ぐ者へ
 「今の若い者は・・・。俺たちが若い頃は・・・。」

 かつてドカジャンで“キメ”ていた若者は大人になり「ドカジャン」は「スーツ」に、「鉢巻」は「ネクタイ」になった。あの「ドカジャン」パワーは今どうなったのだろう。かつての少年達、今の若者達はその牙もツメも無くしてしまったのだろうか!?

 そんな事はない。20年前も、そして今も煌くようなパッションは受け継がれている。国道134号に爆音が響き渡る限り。「湘南爆走族」がある限り、「ドカジャン」がある限り。

 あぁ、素晴らしきドカジャンよ!青春という名の底力よ!フォーエバー!